頭部問題

ヒトのカラダの解剖図を見ると体幹部に明瞭な分節的構造がみて取れる. この規則的なパターンを頭部に向かって追っていくと頸部までは椎骨が目印となるが頭蓋になると不明だ. 脊髄神経を目印にすると後頭部に分布していることから今度は頭と体幹の境界もわからなくなる. さらに頸部には顔面神経支配の広頚筋が分布し、ますます頭部の意味論が現実味を帯びてくる. 

ヒトの成体ではなく、胎児に目をやれば、幾分か状況は変化する. 頭部を構成する形態要素は体節、鰓裂、鰓弓、末梢神経、脳に代表され、これらの分節性を前面に押し出せば、頭部は分節構造となる. そして祖先的な脊椎動物にこそ、その基本的なパターンは見て取れると考えたのが、19世紀から20世紀初頭の比較形態学者たちである. ちなみに当時脊椎動物として見られていたナメクジウオは、ほぼ理想的な分節を示すが、第一体節は頭部の腔となるため、二次的に頭部が退化したとも考えられていた. 近年のカンブリア紀化石群(ユンナノゾアン、ベツリコリアン、パイケイアなど)も含めた脊索動物の系統学的研究では、ナメクジウオにみられる体の前端にまで位置する筋節は、初期脊索動物の原始形質とも言い難く、当時からすでにこの系統の多様化が起きていたことを示唆している.

コルゾフ表

上の表はコルゾフの分節理論である. 彼の分析によるとヤツメウナギの頭部は、中胚葉分節を主体とした理想的な分節構造を示す. 一方で、最終的な見解としてはそれぞれの分節要素のどれが最も主要となるかは結論を出さずにいる (このような分節的な頭部は、時として先験的ーアプリオリであるという批判が起きる. 例えばKingsbury and Adelmann: The morphological plan of the head, 1924ではpreotic somiteとdorsal/ventral nerves, brainの分節を否定 神経板とプラコードに主眼を置くことで頭部は分節構造ではないとする. その他Kastchenko (1888), Rabl (1892, 1897), Froriep (1902) de Lange (1936)はpreotic somiteの存在を否定 一方でPlatt (1891), Killian (1891), Sewertzoff (1898), Dohrn (1901), Gast (1909)はVan Vijjheの分節数よりも多くの分節が頭部に存在すると考えた しかし同じ種でも彼らの結論はバラバラである. Torpedoにおいて Sewertzoff 13, Dohrn, over 15, Killian 18 これは種において体節数が変化するのか誤解なのかもわからない). 

もしアプリオリ(感性の主観的な条件)として分節論者が頭部を述べているとしたら、分節とは、それによって経験がはじまる概念であり、形態に先立つものとして、反証は不可能であり、カール・ポパー的に言えば、非科学の科学をやってしまっているという根幹問題がここにある.  そして反分節論者も同様に頭部の無分節を主張すれば、同じ問題が起きるだろう. 何れにせよ分節論的な頭部認識によると、頭部の後端は不明であり、体幹部との境界ははっきりしない. つまり頭部と体幹部 というこの二項図式に疑問を唱えることとなり、現在の科学者の見解も様々である.  頭部とは何か という問い自体、凶暴な素質を持ちうることから頭部という概念を破壊する方向に進む傾向にあり、エクストリームに傾いた挙句、時には体幹部の変容と言われ、時には全く新しい構造物とも言われた. それは、体幹部の分節構造を軸とする思想からでた論理的帰結としての自然な流れである. このような頭部認識は、おそらく当時としては前衛であり、高名な学者によって唱えられたため一時的に流行したが、すでに風化の中にある. 確かフーコーによれば、古典主義時代のエピステーメーである、同一性と差異を基にした記号の構築と自然の分類が、今日の頭部の概念を内側から実装しているのだとすれば、諸動物の実在する形態要素に即して、その概念の進化文脈での可動域も考察しなければならない. 脊椎動物から初めて頭部を規定すれば、途端に暗闇に舞い落ちることとなる. そしてゲーテによって導かれた弟子たちは同じ思考迷路に入るのである. 思えば比較形態学から19世紀の論争がはじまり、発生の詳細は話を複雑化した. その後電子顕微鏡の導入は、さらに組織の分類と相同を難しくした. 遺伝子は、形態の相同性を支持するかに見えたが、階層の違いという捉え方によりdeepとそうでない類似性などという形而上的な世界を開拓している. 近年は、抽象的なgenetic networkの比較により、頭部の進化は、さらに実体から離れた理解(誤謬)へと向かっているようにみえる. Owenの形態的相同性概念は、今でも生きており、分子レベルの解像度を獲得した昨今の研究者をなおのこと苦しめている.

©︎ Takayuki Onai